駄菓子屋ソーシャルワーカー

山永和子さん

ご近所にあった駄菓子屋さんの閉店を機に、長年の夢だった「だがしやかなん」をオープンさせた山永和子さん。「わが街の子はわが街で育てる」をコンセプトに、子どもだけでなく多世代が交流できる居場所を作りました。コロナ禍でも、「店長がやりたいと思ったことに、おもしろがって付き合ってくれる」常連さんたちとのかるた制作や、高校生が先生役のオンライン講座を企画。そんな場所を守り続けるために、大きな決断を下しました。


|至極の一言|

誰かが無理矢理引っ張り出していく場所ではなく、「ひらけごま」という魔法の言葉を自分で唱えて、自分のタイミングで教室に戻れるような場所を作っていきたい


街の保健室みたいな、地域に開かれた場所を

崎谷:「駄菓子屋ソーシャルワーカー」として活動されていますが、これはどういうものなんですか?

山永:ソーシャルワーカー(SW)はいわゆる社会福祉士。学校(School)で働く人はSSW、医療(Medical)で働く人はMSWなどと略称がつきます。「駄菓子屋、DSWの山永です」と言うとウケるので(笑)、地域の中で、駄菓子屋を中心にソーシャルワーク、ソーシャルアクションをしたいと思って名乗っています。他で使われて、使えなくなると悲しいので、「駄菓子屋ソーシャルワーカー®️」「だがしやかなん」は商標登録も取りました。

崎谷:公式になったんですね! どういう道のりでソーシャルワーカーを目指してこられたのですか。

山永:うちから30秒くらいのところに「よろずや」さんという駄菓子屋さんがあったんです。息子たちがお世話になり、私は20年ほど前に市民新聞の取材でお話を聞いたのですが、「駄菓子屋さんって街の保健室みたいだな」と感銘を受けたんです。そのときに「いつか駄菓子屋ができたら」という夢ができました。その「よろずや」さんが高齢のため、29年間続いたお店を閉めてしまって。私は当時、自宅サロンで個人事業主としてヒーリングルームを運営しながら、電話相談員の仕事をしていましたが、「波が来ている!」と感じてすぐ仕事をやめることを決意。翌日から駄菓子屋を開店するための準備をはじめました。

崎谷:株式会社TO・BI・RAとして、現在は「ぷちコミュニティハウスとびら」を運営されていますが、「TO・BI・RA」とはどういう意味ですか。

山永:駄菓子屋を開いたのも、40歳を過ぎて社会福祉士を目指して大学に通ったのも、そこまで私を動かしてくれた原動力はボランティア活動でした。私と息子たちの母校でもある公立の中学校で、15年前に「オープンセサミ」という活動を始め、現在も継続しています。空き教室を借りて、近所のおばさんが日替わりで見守り、不登校や保健室登校、教室には入りにくい子が休める場所を作りました。そういう場所が、地域の中にもあればいいなと。誰かが無理矢理引っ張り出していく場所ではなく、「ひらけごま」という魔法の言葉を自分で唱えて、自分のタイミングで教室に戻れるような場所がいいなと名付けました。そういう思いと、これからいろいろな扉を作っていきたい、新しい扉がどんどん生まれればという思いを込めてTO・BI・RAとつけました。

崎谷:無理矢理やらせたり、これが正解だと突き進めるのではなく、自分のタイミングでいけるのを見守るんですね。

山永:最初のとびらが「だがしやかなん」。2017年3月に社会福祉士を取得するまで、しばらくは勉強と並行して、駄菓子屋だけをやっていました。今、近所のおじさんやおばさんに見守られたり叱られたりして育つという環境が失われつつあります。私一人で子どもたちに対応するというより、出入りするいろいろな大人と若者・子どもたちが関わり合える拠点になったらと思いました。


高校生が小・中学生に教えるオンライン塾

崎谷:コロナ禍でもいろいろと活動されて、高校生が小・中学生に教えるオンライン授業をやったという話に興味を持ちました。

山永:最初の緊急事態宣言で営業を自粛したとき、学校は休みだけれど課題もなく、子どもたちは暇そうでした。常連の子たちとLINEグループでラジオ体操をしたり、縁のある方たちとかなんかるたプロジェクトを進めたりしていたのですが、そのうち学校の課題が波のように押し寄せてきて、今度は「勉強飽きた」「つらい」という声が聞こえてきました。課題をひとりでこなすのは、孤独でしんどい作業。じゃあオンライン塾をやろうということを提案したら、常連の高校生たちがのってきてくれて。日本史が好きな高校3年生の男の子は、人類の誕生から幕末まで、手づくりの資料で講義をしてくれました。

崎谷:高校生にとっても、教えることがいちばん勉強になりそうです。小・中学生も、なじみのお兄さんに教えてもらえるのはいいですね。

山永:何度も同じことを聞けるので、安心して教えてもらえる環境です。高校生と小・中学生の距離感がいいんです。「ぷちコミュニティハウスとびら」では、「ひらけごま!」という学校にいっていない子のための居場所があり、そこでも高校生が教えてくれています。すごくやさしくて、こういうふうにやると解きやすいよとか教え方がうまいんです。ついこのあいだまで自分がそうだったから、どこでひっかかったのかわかるのだそう。私は校長先生のような立場なので、途中で「これは大人になってからも使うよ~」などと茶々を入れたりしています(笑)。


小さなフリースクールを運営するために、主軸を相談業に

崎谷:「ひらけごま!」についてもう少し教えてください。

山永:「だがしやかなん」に続く、TO・BI・RAのもうひとつの扉です。中学校のボランティア活動「オープンセサミ」同様、不登校の子がいっしょに過ごせる場所を地域に作りたいと思いました。勉強は教えず、学校のように指導はしません。最初は、居場所をいっしょに考えてつなぐ架け橋の場と考えていました。ずっとここにいるのではなく、学校やフリースクール、適応教室など、どこに行くべきなのか考えていくところと。でも今は、ここをフリースクール化してもいいのかなと考えています。いっしょにお昼を作って食べることは家庭科の調理実習に、ラジオ体操や卓球は体育になる。長期休み中は高校生に勉強を教えてもらえる時間もあります。

崎谷:山永さんがもともとやりたかった、行きつくところに行きついているのかなと思います。

山永:小さなフリースクールにするために、思い切って一般の方へのランチの提供をやめ、サロンも閉めました。需要があるなか申し訳ないと思う気持ちもありますが、子どもとがっつり向き合いたいという思いが沸き起こり、強くなっているんです。ソーシャルビジネスの厳しさも身にしみているのですが、なんとか環境を整えたい。そのために、私がずっとしてきた相談業を「かなんyorozu相談」として本格的に主軸にすることにしました。

崎谷:軸足が変わったんですね。

山永:完全に変わりました。コロナでイベントができなくなり、駄菓子屋がイベントに頼り切った経営だったことを猛反省したんです。自分でしっかり生み出せることをしなければと。私ができることは、やはり相談業務。より多くの方が問題解決できるお手伝いを主軸にし、並行して子どもたちと向き合いながら、さらなる余力で駄菓子屋は私の趣味として続けていきます。


<インタビュー後記>

コロナ禍では多くの人が立ち止まり、自分を見つめなおしました。山永さんもそんなひとり。この時期の山永さんとつながり、お話できたことは私にとっても貴重でした。子どもたちの成長を止めない——強い想いがひしひしと伝わってきた配信でした。同じ会場にいた”常連さん”が、語り続ける山永さんを保護者のような温かい目で見守っていて(笑)、愛情は双方向なのだと感じました!

<プロフィール>
東京都東久留米市在住。地元の中学校内での居場所づくりに携わる中で、地域にも“卒業のないコミュニティスペース”の必要性を感じ、社会福祉士を目指す。2015年、株式会社TO・BI・RAを設立し、多世代交流の拠点「だがしやかなん®」開店。2017年、社会福祉士の国家資格を取得し、DSW(駄菓子屋ソーシャルワーカー®)として活動を開始。2018年、「ぷちコミュニティハウスとびら」を開設し、小さなフリースクール「ひらけごま!」、「かなんyorozu相談」も展開。

HP:https://to-bi-ra.com/

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