緑が深い檜原村にある茅葺き屋根の宿「兜家旅館」。築300年を誇る日本家屋の宿を守るのは、美人女将として知られる岡部ゆみこさんです。2020年には、第11回国民的美魔女コンテストに最年長で出場し、見事ファイナリストに。美しく歳を重ねるマインドが幅広い年代の女性から支持を受け、数多くのメディアに登場されています。和食アドバイザーの資格を活かしたセミナーの開催やシェアオフィスの運営など、何足ものわらじを履き、日々精力的に活動されています。
|至極の一言|
大事なのは「受け継いだものを次に渡していく」という強い意志
無関係に見えた今までの経験が、女将業に繋がった
崎谷:「兜家旅館」のイメージ動画があるので、先に拝見していきましょう。
ドローンで撮影された、母屋の茅葺き屋根がとても印象的で素敵ですね。建物の中に入ると、清潔感がある非常に綺麗な宿だなと感じます。建物の梁が立派で、外からの古風なイメージと中のモダンな明るい印象のギャップがいいですね。
岡部:現代のサッシと違って、木造の扉なのでどうしても埃が入りやすい。指に雑巾を絡めて桟(さん)までお掃除し、お客様をお迎えするようにしています。
(写っているのは)新館のエントランスですが、昔からある蔵を改築して使っております。もともと林業をやっていたのでケヤキをふんだんに使っています。
崎谷:築年数のある古民家を守っていくのは大変なことだと思います。ご主人もかなりこだわりのある方だとお伺いしていますが。
岡部:雰囲気としては優しい人ですけれども、頑固ですね。主人はこの家で生まれ育ち、その後、高校は全寮制、大学院まで街の中で生活していたんですけれども、「自分がここを継ぐんだ」という使命感や義務感もあったようです。亡き祖母が始めて50年になりますが、林業としては300年近くやってきたので、「継いで、守って、次に渡していく」という強い意志があります。
崎谷:そういう方と一緒に旅館業を始められて、岡部さんご自身、戸惑いはありませんでしたか。
岡部:実はここには、元々お客として来たんです。年上のお友達に誘われたのがきっかけで。料理は美味しかったですし、お水も美味しい、鳥も鳴いていて。私は毒されていたので、「これは(鳴き声の)音楽が流れているんですか?」なんて(笑)。テーマパークかと思うほど異次元な感じがしました。
崎谷:たまにそういう仕掛けの店もありますよね(笑)。
お客様と経営される側ではだいぶ違うと思いますが、そのギャップはいかがでしたか。
モデルさんもやられていらっしゃったので、話すのもお上手で、サービス業も向かれていたのではないでしょうか。旅館業というのは、究極のサービス業だと思いますが。
岡部:本当にそう思います。最初はギャップもありました。『笑っていいとも』に出させていただいたこともあるんですが、タモリさんにも「自分が女将になるなんて、あると思った?」なんて聞かれたことも。
今となっては、50を過ぎて、今までやってきたことが全部繋がっているんだとしみじみ思います。遡れば、小学校で放送委員長、中学校で生徒会の副会長をやらせていただいたり、学生時代は秘書検定をとったり、社会人では、受付嬢、車のショールームで説明や販売、そのほかモデルの仕事をして、それが高じて写真の専門学校にも通いました。
人と話をする、説明をする、秘書検定で電話の取り方や話し方を勉強したうえでの受付嬢の仕事など、人前で話す機会が多くありました。カメラの前で被写体になることで、撮影現場を経験できました。今までやってきたこと全てが、20年も30年も経って女将の仕事として役に立っているんです。無駄なことなどなかったです。
崎谷:電話の応対やメディアへの対応、サーブしたり販売したり、ご説明をしたりなど、いろんなところが役に立っていらっしゃいますね。
確かに旅館は複合的な業務をこなして行かなくてはならない仕事ですね。
ご主人が始めた展望カフェがとても素敵ですね。私も行ったことがあるのですが、ガラス張りの向こうが渓谷で、自然の中で静かに時間を過ごせるところ。サーブされるものも無農薬栽培された「檜原紅茶」や「BIOワイン」であったり、コーヒーも一杯にここまでのエネルギーを注ぐかっというほどのこだわりが感じられました。
岡部:そうなんです。私自身コーヒーが好きで、ハンドドリップのコーヒーを導入したんです。こだわりの喫茶店を経営している親戚のところで、2ヶ月ほど丁稚奉公し、ドリップの落とし方を勉強してきました。それでも当初は、大手メーカーの豆を使っていて、今ほどのこだわりはありませんでした。
知らない間に主人が、フェアトレードのオーガニックのものを湧き水で淹れるようになって。コーヒーのオーダーをとるのに時間がすごくかかるんですよ(笑)。まず説明をして、水も2種類あったり。
ただ、そこに重きを置いているので、それに興味を持って都心からわざわざお越しくださる方もいらっしゃいます。ブレずにやっていると、共感してくださる方が増えると実感しています。
何足ものわらじを履いても、女将業が中心
崎谷:岡部さんご自身のお話も聞いてみたいのですが、モデルをされていたとのことですが。
岡部:そんなに大きなことをさせていただいていたわけではないのですが、ブライダルショーや撮影会、写真家の方からの依頼でモデルをやっていました。写真学校にも通っていましたが、自分で撮影するよりモデルを頼まれることが多くて、その頃は先生の作品のためのモデル、広報誌の表紙になったこともありました。
崎谷:テレビ出演のご経験もあるそうですね。
岡部:旅館の女将として、旅番組や情報番組に出演したこともあります。私が国民的美魔女コンテストのファイナリストに選ばれたということで興味を持っていただけて、話をいただきました。
崎谷:美ST国民的美魔女コンテストのファイナリストに選ばれたそうですが、ファイナリストになるまでに苦労などはありましたか。
岡部:数千人の応募があったと聞いていますが、写真と経歴、考え方、与えられたタイトルについて考えたことなどが評価されます。
水着審査などもあったので、皆さんはパーソナルトレーニングなどを行ったそうですが、私は元々細くて骨っぽいのが悩みぐらいなので、何もしないで臨みました。
崎谷:トレーニングせずに選出されたのは凄いことですね。コンテストに出たことで、何かご自身の考え方など、以前と変わった点はありましたか?
岡部:私自身はメディアにも出ていたので、ゼロだった人が受けるような大きな変化はありませんが、一番は責任を感じるようになったことです。
例えば、今までは、お友達が私を誰かに紹介する際、「旅館の女将」として紹介されることが多かったのですが、「美STの美魔女なんだよ」と一つ加わりました。影響力のあるものなので、(ファイナリストとして)ご迷惑をおかけしてはいけないと、責任を感じるようになりました。
崎谷:美魔女がブームとなって定着し、年齢を重ねても美しいことに価値がある、みんなが岡部さんみたいになりたい。というところに責任感が出るかもしれませんね。
岡部さんは調理師免許や和食アドバイザーの資格も取られていらっしゃいますね。
岡部:もともと料理が好きで、基本的には家庭料理を大切にしているのですが、父からの勧めもあって取得しました。
渋谷で2023年4月まで「サウスフラットシェア」というレンタルスペースを運営していましたが、そこで郷土料理をふるまっていました。前橋出身なので、東京と群馬の両方の郷土料理をやっています。
調理師免許と和食アドバイザーの資格を活かして、気軽なパーティを開催したり、ソムリエの方をお呼びしてワイン会なども開いています。
崎谷:女将として、学校で授業も担当されたことがあると伺いましたが。
岡部:桧原村には、小学生が遠足や社会科見学で訪れることもしばしば。また、早稲田の学生が職業体験としてお越しになることもあります。
世田谷区の中学校に呼ばれて、話をしに行ったこともあります。旅館の女将さんという職業に興味を持った生徒がいたようなんです。
学校からの要望で、この職に就いた動機や資格、技術、仕事の喜びや大変さなどの話をということで、私はステレオタイプの女将さんではなく、2足も3足も履いているわらじの話を正直にさせていただきました。その後も、呼んでいただき、女将の職業について話すのは3回目となります。
旅館の女将というのは、商売をやっているところに嫁いだものとか、旅館業の娘がやったりするもので、特別な資格はないですが、女将は字の如く「女」の「将」ですから、その場を取り仕切る女性ということです。技術としては人が好きだとか、話すのが得意だとか、ゆったりと構えつつも芯が強いなど、そのような力は必要だと思います。臨機応変に対応するとか、軌道修正の見極めとかも必要です。また、お客様は休日を楽しむために無防備になっていらっしゃることが多いので、消防や調理やおもてなしの面で大変な責任がある仕事だと思っています。抜かりのないよう、心がけています。
崎谷:檜原村について、思うことはありますか?
岡部:檜原村は人口2000人を切ったので、皆さんに村全体に興味を持っていただき、お越しいただきたいと思っています。
私が嫁いだ時には、義理の祖母に「檜原村の代表だと思って頑張って」と言われました。自分のできる範囲で、お客様に知っていただけるよう頑張っていきたいと思っています。
Profile
東京都西多摩郡檜原村にある茅葺き屋根の母屋が特徴の老舗旅館「兜家旅館」女将。2020年、第11回国民的美魔女コンテストに最年長で出場・ファイナリスト。若い頃からモデルとして活動し、日本テレビ『ヒルナンデス』などのメディア出演や美容情報誌の掲載、モデル業などで活躍中。