小平市、そして多摩地域のまちづくりに長年貢献している竹内千寿恵さん。「愛する家族が暮らすこのまちで、思いを分かち合える人たちと、自分らしく、まちを元気にする仕事をつくる」——そんなコミュニティビジネスがたくさん生まれることを願い、NPO法人マイスタイルを立ち上げました。マイスタイルの母体は小学校のPTA役員仲間。自分たちが望む形の仕事がみつけられなかった当時、「なければ、つくればいい」の発想で生まれたものでした。

|至極の一言|
地域には、SOSを出す人、それを受け止めてくれる人の両方がいる。そこに欠けているのは、その二つを結びつける仕組みだと思いました。

小平で創業15年。コミュニティビジネスの種も育てる

崎谷:NPO法人マイスタイルは、今どういった活動をされていますか?

竹内:2006年に小平で創業して15年……しぶとく頑張っています。地域の課題を、ボランタリーな活動ではなく、事業を立ち上げて解決していく。コミュニティビジネスと呼ばれていますが、いわばソーシャルビジネスの地域密着型です。今やっていることは、大きく二つ。一つはコミュニティビジネスで起業したい方のための個別相談。事業計画書を拝見していっしょに中身を考えたり、融資の相談までご一緒することもあります。もう一つは、そこに至る前段階の方、地域で暮らしながら街と繋がっていきたいと思っている方を対象に、研修などを行っています。

崎谷:実は私も、竹内さんが主催したライティング講座を受けさせていただきました。いろいろな気づきがあり、あの経験が非常に役立っています。
国分寺でまちを楽しむ活動を学び活動する連続講座「こくカレ(こくぶんじカレッジ)」にも関わっていらっしゃるとか。私もタイミングが合えば受けたかったです!

竹内:「こくカレ」は行政と民間の協働事業で、マイスタイルは公募に手をあげて採択していただきました。2期目はありがたいことに応募者が1期目から倍増。みなさんの志望動機、街を熱く語る気持ちがどれも強かったので選べなくて、1クラスの予定だったのを2クラスに分けてやることにして全員受け入れました。

見知らぬ街で育児をする中で気づいた、地域に必要な仕組み

崎谷:竹内さんがマイスタイルを始めた15年前と今で、小平の雰囲気は違いますか。

竹内:大きくは変わっていませんが、すそ野が広がってきていますね。若い世代や、現役で仕事を持ちながらも活発に自ら地域で動いていく人が増えた気がします。私は引っ越しばかりでいろいろな街を見てきましたが、最初に感じた小平の特徴は、新参者を受け入れてくれる街。重鎮のような人がいてなかなか新参者は入れない雰囲気の街もありますが、小平にはそれがなく、新参者の私も好きなことができました。

崎谷:ご主人のお仕事の関係で、1~2年おきに8回の転勤を経験されたそうですね。

竹内:西に東にいろいろと行きました。最初は東京から、姫路、宝塚、大阪、埼玉、徳島……滞在型の長期旅行をさせてもらっているみたいで(笑)マイナスには捉えていなかったです。

崎谷:いいですね!私もいろいろ滞在したい(笑)。その間に出産、子育て、ご両親の遠距離介護と大変な時期も過ごされたとか……。

竹内:そうですね。転勤族時代に見知らぬ街で子どもが2人生まれ、まわりに助けてくれる人がいない環境でした。両親もその頃には健康を害していたので、里帰り出産はありえない。地域に向けてSOSを出すしかなかったんです。
下の子が生まれたとき、上の子を見てくれる人がいなくて通っている幼稚園の先生に相談したら、「ママ友がみてくれるかもしれないわよ」と言ってくださって。チラシを作ってママ友に配り、子育てサポートをお仕事として募集したんです。手をあげてくれた方は保育士さんで、家族全体で長男を受け入れてくれました。仕事が終わった夫が迎えに行くと、帰りたくないと泣くぐらい楽しくてしょうがない時間を過ごしたみたい。地域には、SOSを出す人、それを受け止めてくれる人の両方がいる。そこに欠けているのは、その二つを結びつける仕組みだと思いました。

崎谷:昔の子どもは近所に育てられていたなと思いますが、人間関係だけで出来ていたことが、今はできない社会になってしまった。そんな中で竹内さんのような方が仕組みを作っていく流れがあったのかなと思います。

竹内:私の場合は地縁がなかったんです。すぐに2人目が生まれたので友達を作る暇もなかった。でも厚かましいというか、出たとこ勝負でやってしまうタイプだったから、チラシを配りましたけど、みんながそんなことをできる人ばかりではないだろうなと。悩んでしまって、ひとりで抱え込むこともあるだろうなと、その時に思ったんです。

PTA活動で生まれたつながりが「マイスタイル」の原点に

崎谷:PTAに携わるようになったのは小平に来てからですか?

竹内:ずっと引っ越し続きだったので、それまでPTAに関わったことがなかったんです。夫の転職で小平に落ち着いて暮らすことになり、子どもがお世話になっているのだからやってみようと一歩踏み出しました。そのときに、PTA役員の代表に手を挙げたのがマイスタイル副代表の篠原麻里さん。「ほかに誰かいませんか?」という場面で皆がうつむいているとき、私がキョロキョロしていたら目が合って「いっしょにやりましょう!」と巻き込まれました。
1年間、役員としてそのチームでPTA活動したのがすごく楽しかったんです。メーリングリストを立ち上げて仕事を割り振り、極力集まりは少なくするなど効率的に工夫しました。集まるときも30分くらいで重要なことは決め、あとは懇親会してました(笑)。

崎谷:まさに今求められているやり方ですね!PTAはめんどうなイメージがあったのですが、楽しさもあったんですね。

竹内:学校の様子もわかるし、先生ともコミュニケーションとれるし、地域のいろいろな人が関わって子どもを育ててくださっていることがわかり、地縁もできました。私は13年間専業主婦で、バイトすらしたことがなかったので、仕事を進める上での段取りの大切さなども学べました。お金を払わずに、ですよ!よかったことしかありません。

崎谷:そのPTAからのつながりが母体となって、マイスタイルが生まれたんですね。立ち上げるにはエネルギーが必要ですが、続けるエネルギーもすごく重要だと思います。長くやってこられたモチベーションの源は何だったのでしょうか。

竹内:子どもたちの存在が大きかったですね。この子たちに悲しい思い、寂しい思いをさせることなく、大人になるまで背中を見せ、収入もそこから得たいという思いがありました。街を暮らしやすくしたいということもあったけれど、実はそれほど深く考えていたわけではなくて。気づくと15年経っていた感じです。

崎谷:コミュニティビジネスを15年すすめてきて、変わったこと、変わらなかったことはありますか?

竹内:仕事としては大きく変わったことはないです。マイスタイルを始める前に、3年間コミュニティビジネスの中間支援団体の事務局に入らせていただき修業したのですが、こういうことをやりたいという青写真はそのときにできていたんです。それを一つ一つ、パズルのピースをはめるようにすすめ、最後のピースが入ったのが創業8年目。市民力アッププロジェクトとして、この街で暮らしている方たちが将来どんなふうにこの街で生きていきたいのか、ワークショップを通して考えていただく場を作りました。

崎谷:多摩地域だけでなく広域でも活動されていますね。

竹内:地元・小平と双方向で風が吹いているイメージを持っています。多摩のほかの街や一都十県までひろがって情報共有し、それぞれの街で地域の課題が解決できた成功事例があれば持ち帰ります。各地の住人が考える地域課題、地域ニーズととらえることもできますが、この街ではこの方法で解決できたという事例をお互い共有し合い、面で暮らしやすくなっていくというのを目指したいと思っています。

【竹内千寿恵Profile】
愛媛県今治市出身。商店街生まれの商店街育ち。大学卒業後、教育出版会社で編集に従事。結婚後、1~2年おきに8回の転勤生活。その間の出産、子育て、両親の遠距離介護を通じて、地域のサポートの重要性を実感。その体験をベースに、2006年11月、コミュニティビジネス活性化を目指すNPO法人マイスタイルを設立。広域関東圏コミュニティビジネス推進協議会幹事、多摩CBネットワーク世話人も務める。小平市在住。

HP: http://mystyle-kodaira.net/

投稿者

さきや 未央

★ 編集歴25年以上★「旅」と「子育て」雑誌を200冊編集★「観光とまちづくり」の取材を8年間★ 多摩の社長100人にインタビュー