文久3年(1863年)に創業した石川酒造の18代目当主石川彌八郎さん。多摩の豊富な水脈を利用して造られる日本酒「多摩自慢」の醸造を受け継ぐ傍ら、ビール造りを手がけ、多摩を代表する地ビールを販売。
樹齢700年を超えるご神木や、国の有形文化財に指定された建造物が6棟ある約3000坪の敷地内に、レストランや宿泊施設を併設させて「お酒を楽しむためのテーマパーク」を作り上げました。地域の人々との繋がりを大事にし、地域と共に次の世代に文化を繋げていく活動をしています。

|至極の一言|

老舗が考えている反対のことはすぐ言える。
「今だけ、自分だけ、お金だけ」。
これの反対を心に持っているから代々続くのかな。

ビジネスモデルを変えながら、代々受け継いだものを守っていく

崎谷:石川酒造さんはとても長い歴史がありますが、どのような歴史だったのか、教えていただけますか。

石川:「先祖代々酒造り。石川家はお酒一本できた」と、僕も地域の人もずっとそう思っていました。実はそうでもなかったんです。
40年ほど前、蔵の中に残っていた先祖の日記を専門家に解読してもらったところ、13代目から酒造りが始まったことがわかりました。その前は農家です。14代目の日記には「石川家の本業は農業であり、酒造は副業である」と書いてありました。
本業となったのは戦後です。農地解放があり、酒造りが本業になったのでしょう。戦後の混乱を終え、復興、オリンピック、高度成長期、バブルと日本経済の規模が大きくなると同時に、お酒も売れていきました。
しかし、バブルが終わって90年代には日本酒が売れない。ビールを造り始め、お酒を楽しめるレストランも始めました。今ではレストランで楽しんでもらうために、庭でのライブ演奏も取り入れています。ここへ足を運んでもらってお酒や料理を楽しんでもらうというビジネスモデルに変わりつつあります。


崎谷:酒造だけだったものが、複合的なものになってきたのですね。

石川:日本酒は今、全体的にみると低迷しています。日本酒が売れたピークは1970年代の前半でした。「このままではいけない」と、ビール造りやレストランを始めました。でも将来のことを考えて、新しいことをしようとするとき、反対の意見が出たりするんです。

崎谷:間違いなくそうですね。

石川:「本業をしっかりしろ」という話になるのです。でも、歴史を見れば本業自体が変わり、今の本業だって昔の副業だったわけです。

崎谷:本業の酒造をしっかりやった上で、副業などで新しい種を撒くことも必要なわけですね。

石川:酒造という土台があるからこそ、レストランも人気があります。もちろん、料理にも力を入れていますが、酒造で食べられるというスパイスが相乗効果を生んでいます。
敷地内には樹齢約400年や700年のケヤキがあり、有形文化財も6つあり、4月になれば僕が産まれた時に爺さんが植えてくれた桜が咲き、9月になればレストラン前のモクセイが咲き、いい香りも漂います。美味しいお酒と場所が、総合的に作用して楽しい時間が生まれます。

崎谷:私も観光にいろいろ関わってきましたけれど、一本パーフェクトなものがあれば、それに付随してくるなと感じています。

石川:そう思います。今、新しく始めたのは「酒房」という宿泊施設です。お酒を飲んで、美味しいものを食べ、ゆっくりと時間を楽しんだら泊まって行きたくなるんではないかと考えました。

新しくできた宿泊施設「酒房」

「地域との連携」がビジネスでも文化継承の上でも一番大事

崎谷:福生駅近くの大多摩ハムと会社提携をされたとのことですけれども、どのような経緯があったのでしょうか。

石川:福生の街の特徴は、横田基地がありアメリカの雰囲気もありますが、実は日本の雰囲気もあります。うちの他にも、蔵ときれいな庭がある200年の歴史をもつ田村酒造さんがあります。福生に2軒あるというのは切磋琢磨し合うので、とてもよい関係です。
そして、福生には歴史のあるハムの会社も2つあります。大多摩ハムと福生ハムさんです。2つが敵対しているわけではなく、磨きあっている関係がお互いにとって必要です。大多摩ハムさんの後継者が決まらなかったことから、引き継ぐことにしました。

崎谷:福生の地域という、大きな枠で考えていらっしゃるのですね。

石川酒造内にある福生のビール小屋

石川:そうです。街全体の魅力を崩したくないのです。福生という大きな器の中に、田村酒造、石川酒造、大多摩ハム、福生ハムという老舗があって、ここに人が来るようになってほしいです。
代々の当主がもちろん努力をしなければなりませんが、そこに地元地域との繋がりをきちんと持つことが重要です。人間一人で生きてはいけないです。コミュニティや街のことがあるから、助け合いながら生きていけます。街のことを考えずに仕事をしても、長続きしないと思います。
田村酒造さんも創業200年の老舗です。みんな老舗ですけど、老舗が考えている反対のことはすぐ言えます。「今だけ、自分だけ、お金だけ」。これの反対を心に持っているから代々続くのかな。

崎谷:大多摩ハムはどのような会社でしょうか。

石川:大多摩ハムは今年で90年になる会社です。前社長がドイツのケルンで製法を学び、純ドイツ式の製法を守っています。日本とドイツでは、ハムに関するルールが違います。例えば、ドイツでは加熱したベーコンはベーコンと認められません。燻製と乾燥をさせた非加熱のものだけです。日本ではこういう製品はなかなかありませんが、大多摩ハムはそのような製法を守っています

大多摩ハムのぜいたくなハムやソーセージ

崎谷:ハムはビールとも相性がいいですね。

石川:とてもいいです。そして、大多摩ハムさんもレストランも経営し、ビジネスモデルがうちと似ていました。今後は、ソーセージ作り体験など体験型のビジネスも展開させていきたいです。作りたてはとても美味しいです。そこで一緒に美味しいビールが飲めれば、お客さんも喜んでくれると思います。

地元の人が集う空間を提供したい

崎谷:石川酒造さんのビールはどのような特徴があるビールなのでしょうか。

石川:「多摩の恵み」と「TOKYO BLUES」という2つのラインがあります。日本では約9割のビールが「ピルスナー」タイプですが、ヨーロッパには、各地域にご当地ビールがあります。日本でも多様なスタイルのビールを楽しんでほしいと思い、伝統的な6種類で展開したのが「多摩の恵み」です。
一方「TOKYO BLUES」は石川酒造オリジナルの製法で作ったラインです。

崎谷:ご先祖様もビール造りに挑戦されていたと聞きましたが。

石川:明治時代に14代目が造っていました。かなり投資をしてチャレンジしていましたが、時代に合わず、売れませんでした。そのビール造りを復活させて、今のビールがあります。
ヨーロッパへ学びに出かけた時、いろんなものを感じました。多くの醸造所にはレストランが併設されており、観光客だけではなく明らかに地元の人がいる。コミュニティの核になっているのを感じました。これは、石川家が代々やっていたものです。地元の人にも元気になってもらいたい。地元の人が集う空間を提供していきたいと思っています。

ハーモニカ奏者でもある石川社長。たまCHではハーモニカも演奏してくださいました

Profile
福生市在住。1990年に石川酒造株式会社入社。2002年に代表取締役就任。2013年に第18代石川彌八郎を襲名。地下天然水を使用した日本酒「多摩自慢」やビール「多摩の恵み」など、多摩の自然を生かし伝統を受け継いで作られた商品を数多く販売。敷地内には酒造りやビール造りの歴史的資料を展示した資料館、イタリアンレストラン「福生のビール小屋」、日本料理「食道いし川」、「ゲストハウスSHUBOU多摩自慢」を併設。2020年に株式会社大多摩ハムと企業提携、同社代表取締役会長就任。

石川酒造HP

投稿者

さきや 未央

★ 編集歴25年以上★「旅」と「子育て」雑誌を200冊編集★「観光とまちづくり」の取材を8年間★ 多摩の社長100人にインタビュー